令和3年度新工日記

校内点描20(校門の変遷)

2021年11月5日 06時00分
学校行事

 本校北側の校門の位置の変遷について、主に『創立六十周年記念誌』(1997年)と『学校要覧』(毎年作成)の図面や写真をもとに調べてみました。

 校地拡張前の1955(昭和30)年の学校平面図を見ると、旧本館前の正門と、校地東側にあった運動場前(東門)の2カ所に門があったことがわかります。(下図左から1番目)

 1958(昭和33)年に校地拡張工事が終わり、校地(運動場)が西側に広がったことから、新運動場と元の校地西端の講堂との間に新たな門(西門)が設けられ、門は3カ所になりました。(下昭和36年の航空写真)

 その後、旧運動場の敷地に実習施設が次々と建設され、1963(昭和38)年に現在の第一教棟(本館)が完成したことから、東門が閉じられるとともに新たに現在の位置に正門が作られ、その後、旧正門も閉じられたため、門は再び2カ所になりました。(下図右から2番目)

 さらに西門も、1969(昭和44)年の体育館の建設と講堂の取り壊し後しばらくして、少し東側の現在の位置に移動しています。(下図右から1番目)なお、元の西門の場所には、現在「校地拡張記念樹」と石碑が移設されています。

 ところで、校地北側の石垣やその基礎部分をよく見ると、昔の校門の痕跡をわずかながら確認することができます。一度見てみてください。本校の歴史を感じることができると思います。